2019年04月30日
さらば平成(あの頃の未来)
ご承知のように、今日で平成が終わる。
平成に変わった日、俺が歩いた上通りからは音楽が消えていた。
空いている店はコンビニとレンタルショップだけ。
テレビでは喪服をきた「著名人」が沈痛な面持ちでコメントを繰り返していた。
自分の年齢からすると社会人数年目でやっとまともな歳になったくらい。
その勤め先から歩いて5分もかからないところに住んでいるのはどんな運命の悪戯なんだろう?
結局のところ、あの頃から何の成長もしていないという暗示かもしれない。
少なくとも「あの頃の未来」(by SMAP in 「夜空ノムコウ」)とはまったく違うところに立っているのだから。
小さい頃から、親父に「できそこない」「継続性がない(飽きやすい)」「なんで生まれてきた?」と
子守唄のように言われてきた自分としては、社会人前半はこの言葉に縛られもがいていたような気がする。
そういうことを止めたのは30過ぎて、寿屋の創業者、壽崎肇さんの講演会で、
「人生、短所を直すには短すぎる」という言葉に出会うまでは。
飽きやすい性格ならはならば、興味をもったものにしばらく突き詰めればいい。
そして次に移れば、またそれを彫り下げればいい。
そうやって、浅く広く知識を広げばいいんじゃないかと、
この歳になるまでやってきた。
その結果が今の俺。
母が20年前、父が8年前に鬼籍に入り、震災で実家もなくなった。
それにも増して、キレイなほど独り身で「家族」と呼べる直系家族はいない。
60歳になる前に、完全に「根無し草」となってしまった。
天皇陛下には感謝と敬意はある。本当にいつも国民の目線に近づいていてくれた。
が、時代が変わることにあまり感慨はない。明日から新しい「令和」が始まる。
新しい天皇陛下は少し年上だが、同世代となる。
根無し草は、どの未来へ行くんだろうか?
今更ながら、今年の「長崎ランタンフェスタ」。






平成に変わった日、俺が歩いた上通りからは音楽が消えていた。
空いている店はコンビニとレンタルショップだけ。
テレビでは喪服をきた「著名人」が沈痛な面持ちでコメントを繰り返していた。
自分の年齢からすると社会人数年目でやっとまともな歳になったくらい。
その勤め先から歩いて5分もかからないところに住んでいるのはどんな運命の悪戯なんだろう?
結局のところ、あの頃から何の成長もしていないという暗示かもしれない。
少なくとも「あの頃の未来」(by SMAP in 「夜空ノムコウ」)とはまったく違うところに立っているのだから。
小さい頃から、親父に「できそこない」「継続性がない(飽きやすい)」「なんで生まれてきた?」と
子守唄のように言われてきた自分としては、社会人前半はこの言葉に縛られもがいていたような気がする。
そういうことを止めたのは30過ぎて、寿屋の創業者、壽崎肇さんの講演会で、
「人生、短所を直すには短すぎる」という言葉に出会うまでは。
飽きやすい性格ならはならば、興味をもったものにしばらく突き詰めればいい。
そして次に移れば、またそれを彫り下げればいい。
そうやって、浅く広く知識を広げばいいんじゃないかと、
この歳になるまでやってきた。
その結果が今の俺。
母が20年前、父が8年前に鬼籍に入り、震災で実家もなくなった。
それにも増して、キレイなほど独り身で「家族」と呼べる直系家族はいない。
60歳になる前に、完全に「根無し草」となってしまった。
天皇陛下には感謝と敬意はある。本当にいつも国民の目線に近づいていてくれた。
が、時代が変わることにあまり感慨はない。明日から新しい「令和」が始まる。
新しい天皇陛下は少し年上だが、同世代となる。
根無し草は、どの未来へ行くんだろうか?
今更ながら、今年の「長崎ランタンフェスタ」。
2019年03月24日
219号「桜街道」を走れ!
この時期、人吉・球磨へ出かけるなら、高速ではなく、国道219号をのんびりと行くことをオススメする。
八代から人吉まで桜を愛でる場所はそれこそ山のように点在している。
代表的なものを上げてみる。
まず、国道3号を左折して、川沿いの道へと向かうとセブンイレブンを過ぎ、オレンジ鉄道と南九州道の高架を抜けると、豊葦原神社からの稜線から球磨川河川敷にかけて桜が連なり、「桜街道219」開始を告げるゲートのようだ。
また瀬戸石ダム前後のJR肥薩線沿線。ダムがあるので水位が高くせり上がって、水面に映る桜も美しい。SLが桜並木の横を通っていく姿は秀逸。
同様に西人吉駅の手前、セブンイレブンの裏辺りもSLと桜の共演が素晴らしい場所。
他にも細かいところはいっぱいある。
そしてそのまま市房ダムのダム湖周回道路を行くべきである。



八代から人吉まで桜を愛でる場所はそれこそ山のように点在している。
代表的なものを上げてみる。
まず、国道3号を左折して、川沿いの道へと向かうとセブンイレブンを過ぎ、オレンジ鉄道と南九州道の高架を抜けると、豊葦原神社からの稜線から球磨川河川敷にかけて桜が連なり、「桜街道219」開始を告げるゲートのようだ。
また瀬戸石ダム前後のJR肥薩線沿線。ダムがあるので水位が高くせり上がって、水面に映る桜も美しい。SLが桜並木の横を通っていく姿は秀逸。
同様に西人吉駅の手前、セブンイレブンの裏辺りもSLと桜の共演が素晴らしい場所。
他にも細かいところはいっぱいある。
そしてそのまま市房ダムのダム湖周回道路を行くべきである。
2019年02月11日
今年もランタンフェスティバルな長崎
2018年08月18日
2018年05月26日
とりあえず存在証明
完全に存在を忘れかけていたマイブログ。
元々、そんなに購読者もいないし、
書いている内容もつまらないので、
大勢には影響はないんだが。
前回が取って付けたようなクリスマスツリーの投稿。
まともに会社員になるとそれほど暇もないんで、
しょうがないと言えばしょうがない。
ということでいつもの大食いネタを。
今年も行きましたよ。市房ダムの桜と墓掃除。
この春に可愛がってくれた伯父が逝ってしまったので
墓掃除は念入りにした。
ということで、湯前の徳丸へ。

ということで今年は「オムライス」をチョイス。
下に見えるのはiPhone 7だけど大きく見えないな。。。
米は3合以上使っているはずなんだが。
まあ、余裕でしたが。。。

次回は焼きそばに挑戦しようかな。。。
元々、そんなに購読者もいないし、
書いている内容もつまらないので、
大勢には影響はないんだが。
前回が取って付けたようなクリスマスツリーの投稿。
まともに会社員になるとそれほど暇もないんで、
しょうがないと言えばしょうがない。
ということでいつもの大食いネタを。
今年も行きましたよ。市房ダムの桜と墓掃除。
この春に可愛がってくれた伯父が逝ってしまったので
墓掃除は念入りにした。
ということで、湯前の徳丸へ。
ということで今年は「オムライス」をチョイス。
下に見えるのはiPhone 7だけど大きく見えないな。。。
米は3合以上使っているはずなんだが。
まあ、余裕でしたが。。。
次回は焼きそばに挑戦しようかな。。。
2017年12月25日
クリスマスツリーになりたい
今年はたくさんのクリスマスツリーに出会えた。
ツリーを見ているといろん形があって、
作って人たちの想いが感じられて、
こんな俺でもなんか少しだけホッとする。


来年は自分がクリスマスツリーになってみたい。。。

ツリーを見ているといろん形があって、
作って人たちの想いが感じられて、
こんな俺でもなんか少しだけホッとする。


来年は自分がクリスマスツリーになってみたい。。。



2017年12月11日
A year in the life
世間はいつの間にか、12月。いや、知ってはいたさ。
歳を取れば時の流れが早く感じるものだが、
今年に関して言えば、本当に早かった。
それだけ歳を取ったということなのかもしれないが。
それにしても今年はいろんなことがあった。
今年ほどいろいろなことが起きた年はなかったと思う。
いわゆる俺のたった半世紀ほどの「人生」の中でも。
これ以上のことはもう起きてほしくないがね。
さてさて。。。
ここひと月余り、夜景を撮りたいと衝動に捕われている。
佐賀、長崎と回って今度は地元熊本。
と言っても、所要時間はそれほど変わらない。
天草の大江天主堂。

恥かしながら、この歳になるまで行ってことがなかった。
いや、近くは何度となく通っているんだがね。
教会堂のイルミネーション。
どちらかと言えばシンプルで素朴。
それでも寒空の中、ほっこりと暖かくなる場所だった。
歳を取れば時の流れが早く感じるものだが、
今年に関して言えば、本当に早かった。
それだけ歳を取ったということなのかもしれないが。
それにしても今年はいろんなことがあった。
今年ほどいろいろなことが起きた年はなかったと思う。
いわゆる俺のたった半世紀ほどの「人生」の中でも。
これ以上のことはもう起きてほしくないがね。
さてさて。。。
ここひと月余り、夜景を撮りたいと衝動に捕われている。
佐賀、長崎と回って今度は地元熊本。
と言っても、所要時間はそれほど変わらない。
天草の大江天主堂。

恥かしながら、この歳になるまで行ってことがなかった。
いや、近くは何度となく通っているんだがね。
教会堂のイルミネーション。
どちらかと言えばシンプルで素朴。
それでも寒空の中、ほっこりと暖かくなる場所だった。
2017年11月24日
解体・更地、確認しました。。。
解体作業の締めは「終了確認の立ち会い」ってのがあって、
それが先日、ありましてん。
つまり「これで終わり」ってやつですわ。
すべてが終わりました。なくなりましたよ、俺のホームは。
と言っても大してことはしないんだよね。
更地になった場所に立って、業者の人と一緒に写真を撮る。
こ・れ・だ・け。
熊本弁で言えば「うすとろか」。
ということで、すべてなくなりました。
家も、被災の跡も、品物も。
この1年、いろいろなものをなくしてきたけど、
ぜーんぶきれいさっぱりなくなりました。
ということで、そういう時に長崎へ逃避行。
長崎には癒やしてくれる風景、場所、
そして人たち、動物たちがいる。
カメラ機材を抱えて。。。

鍋冠山から長崎港with稲佐山

こんな大型豪華客船が日常の風景にあるんだせぃ~♪

地味に大好きな、女神大橋
それが先日、ありましてん。
つまり「これで終わり」ってやつですわ。
すべてが終わりました。なくなりましたよ、俺のホームは。
と言っても大してことはしないんだよね。
更地になった場所に立って、業者の人と一緒に写真を撮る。
こ・れ・だ・け。

熊本弁で言えば「うすとろか」。
ということで、すべてなくなりました。
家も、被災の跡も、品物も。
この1年、いろいろなものをなくしてきたけど、
ぜーんぶきれいさっぱりなくなりました。
ということで、そういう時に長崎へ逃避行。
長崎には癒やしてくれる風景、場所、
そして人たち、動物たちがいる。
カメラ機材を抱えて。。。

鍋冠山から長崎港with稲佐山

こんな大型豪華客船が日常の風景にあるんだせぃ~♪

地味に大好きな、女神大橋
2017年11月06日
きれいさっぱり。。。
11月になり申した、早いもんで。。。
早いと言えば、解体工事。
それほどデカい家じゃなかったので、
なんなく終了。
仕事もあってなかなか行き出せなかった。
う~~ん、避けていたのかな。。。
なんて思っていたところ、お節介なやつがいた。
たまたま通ったらもう更地になっていたと言ってきた。
写真送ろうか? だと。。。(-_-;)
丁重にお断りしたね。
お前は遊び人の金さんか?
まったく余計なことしやがります。
まぁ、見に行かないわけにはいかないんで。。。
祝日の金曜日、見に行ってきましたよ。。。
昔から通っている床屋の帰り。
これまた、きれいさっぱりした頭で。
もう泣けるね。笑いさえ出た。
俺ってこんな小さいスペースに住んでいたんだ、と。
家具を入れないマンションは広いと思ったが、
家の建っていない更地はああいうものなのか?
もう失うものさえなくしてしまったのかな。。。
さてさて。。。
更地の写真なんぞこのブログは相応しくないので。
ランチバイキングの写真なんぞを。

やっぱり、太平燕は条例で必須にしてもらいたいですな。
早いと言えば、解体工事。
それほどデカい家じゃなかったので、
なんなく終了。
仕事もあってなかなか行き出せなかった。
う~~ん、避けていたのかな。。。
なんて思っていたところ、お節介なやつがいた。
たまたま通ったらもう更地になっていたと言ってきた。
写真送ろうか? だと。。。(-_-;)
丁重にお断りしたね。
お前は遊び人の金さんか?
まったく余計なことしやがります。
まぁ、見に行かないわけにはいかないんで。。。
祝日の金曜日、見に行ってきましたよ。。。
昔から通っている床屋の帰り。
これまた、きれいさっぱりした頭で。
もう泣けるね。笑いさえ出た。
俺ってこんな小さいスペースに住んでいたんだ、と。
家具を入れないマンションは広いと思ったが、
家の建っていない更地はああいうものなのか?
もう失うものさえなくしてしまったのかな。。。
さてさて。。。
更地の写真なんぞこのブログは相応しくないので。
ランチバイキングの写真なんぞを。

やっぱり、太平燕は条例で必須にしてもらいたいですな。
2017年10月15日
人には相応しき贈り物を
とうとう自宅解体が始まった。
覚悟はしていたものの。。。
などということなどなく、
どこまでも他人事のように思ってた感覚がある。
あの地震で家のものが散乱しても片付ける気も起こらず、
雨漏りが激しくなってもブルーシートを貼れば
なんとかなるだろうと思い込もうとしてた。
もうそういう信じ込ませる必要もなくなる。
家屋は生まれてずっと住んでいたというわけではない。
元々住んでいたのは向かいの今はもうない、小さな家。
伯父家族が新しい家を立てて移ったので
そこに住んだのが小学生高学年の頃。
まぁ、住所も変わらず住んでいたので生まれ育った場所だ。
いや、もう場所「だった」というべきか。。。
さてさて。。。
先日、久し振りに夜の建物なんぞを撮ってみた。

三角西港

う~ん、悪くはないがこんなもんかな。。。
覚悟はしていたものの。。。
などということなどなく、
どこまでも他人事のように思ってた感覚がある。
あの地震で家のものが散乱しても片付ける気も起こらず、
雨漏りが激しくなってもブルーシートを貼れば
なんとかなるだろうと思い込もうとしてた。
もうそういう信じ込ませる必要もなくなる。
家屋は生まれてずっと住んでいたというわけではない。
元々住んでいたのは向かいの今はもうない、小さな家。
伯父家族が新しい家を立てて移ったので
そこに住んだのが小学生高学年の頃。
まぁ、住所も変わらず住んでいたので生まれ育った場所だ。
いや、もう場所「だった」というべきか。。。
さてさて。。。
先日、久し振りに夜の建物なんぞを撮ってみた。

三角西港

う~ん、悪くはないがこんなもんかな。。。